2010年7月

シンガポール。増えたもの、減ったもの、相変わらずないもの。

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シンガポールは1965年にマレーシアから独立建国して以来、45年。そのうち私が見た半分弱の20年間で増えたもの、減ったもの、相変わらずないものをリストアップしてみます。

増えたもの

●人口
1990年代初めは300万人程度だったでしょうか。2000年代初頭に再度仕事で渡星したとき、すでに人口が膨れ上がっていました。居住者も出稼ぎ労働者も増えたそうです。2010年の今年は480万人ほどに。

●ビル、高層住宅
1990年代初めに、寂しく始まったマリーナ地区の開発。オーチャードから離れたエリアに高層ビルを作り「不便なことするなあ」とおもっていたら、あれよあれよと高層ビルが立ち並ぶエリアに。

非常時には滑走路として使えるよう設計された、チャンギ空港から市街地へ行く道路が好きだったのですが、昔はこんもりとした緑には挟まれた道もいまや庶民が住む高層住宅エリアになってしまいました。


●無印良品
とか、日本のモノ、会社。星国は日本の会社や技術(ETCやsuicaのような交通システムなど)を日本よりも貪欲に導入してきたので、元々日本の会社が多い。日本で生まれたものを上手にアジア展開しているように見えました。星国はイケイケドンドンな雰囲気があるのでmujiやユニクロのシンプルさは空虚で貧乏くさく見えましたけどね。mujiが力の抜けた日常に見える日本の成熟ぶりが素晴らしい。

●インド人
星国に住み着いているインド人ではなく、家族連れのインド人旅行者が多かった。以前は自分の場所を見つけるように歩いていた人たちですが、今では豊かさと実力に自信を持っていて楽しそうでした。

●見せ掛けの娯楽
観覧車ができたり、sexや暴力に対する表現をやや緩和していたようだけど、サブカルチャーが育つほどのパワーもなく、相変わらず退屈。


●歩きたばこの人
星国では違法行為。歩きタバコの人を初めて見たのは10年前。だらしなく太ったインド系若者でチーマーな雰囲気漂う子達がいきがって歩きタバコしていた。社会的地位の低い人が自己顕示のためにやるものだったが、今回は仕事持っていそうな若い中国系女性の歩きタバコも。「仕事してるし、できるけど、社会ってかったるいのよね」的な雰囲気。

減ったもの

●コロニアルスタイルの木造住宅
市街地ではラッフルズホテルが高層ビルに囲まれて寂しく英国コロニアルな雰囲気をかもし出していますが、ビルが立ち並ぶ前はエレガントな2階建て木造建物があちこちにあったものです。どうして壊すんだか。。まるで上海と競うかのようにビルだらけに。その上海も昔はエレガントだったと思うのですが。それを言うなら大江戸cityも京都cityも昔の面影ないですね。


●緑
切り崩されて高層住宅になっています。


●欧米のイケイケな人
いかにも投資銀行に勤めています風な人が減りました。星国経由でバリなどの周辺リゾートに向かう人も減っているような。わざわざ星国で過ごすメリットがないと感じたのでしょう。彼らの星国に対する評価は「退屈」ですから。IT系の欧米人は逆に増えているように思えました。


●アジアらしいゆるさのある雰囲気、人の気持ち
ベトナムやカンボジアにも通じるような、東南アジアならではの懐の深いゆるさが昔はあった。今の星国は芸のない香港人。

●トラックで運ばれるバングラデッシュ人工夫
これはとうとう見かけなくなった。軽トラックの荷台にバングラデッシュ人が20人くらい乗っけられてあちこちに運ばれていたのに。

●ホッカセンター
フードコートは増えたけど、ご飯におばちゃんお手製のおかず2,3種類を盛り合わせるホッカセンターは減った。見た目汚いけど200円くらいでおいしくて大好きだった。一時期増えた欧米人向けにフードコートに改装されてしまいました。

相変わらずないもの

●シングリッシュじゃない英語
英語教育も続けば洗練されると思いきや、シングリッシュ育ちがシングリッシュを教える立場になりシングリッシュぶりに拍車がかかり、かなり聞き取りづらいレベルに進化。

●文化
sexや暴力の表現は緩和しているものの、星国originな強いカルチャーは相変わらず見当たらない。食べ物と経済だけ。何の楽しみも生み出していないということ。何のために生きているのだろうか?

●アート
国策でアートには力を入れているはずだけど、たいしたアーティストが育っていない。歴史が短い上に表現規制も思想規制もあるのだからアートが育たないのは当たり前。日本ではあちこちの美術館で見られるような美術史に残る名画もこの国にはない。新興の半社会主義国だけに、この国は文化的最貧国なのでは?


●美女、美男
経済が発展すれば幸福になり、満足度が高まればそれに呼応して人の顔は穏やかになり、美しくなるはず。なのに、この国には相変わらず美女、美男が皆無。ゼロです。装置としては面白い国なのに、目だった文化が生まれず退屈な原因は人に魅力が感じられないせいではないでしょうか?東南アジア的緩さがあったときのほうが、人の顔は良かった。

日本の高度経済成長期のような時代からインフラをつくり発展ぶりを見てきて思い入れのある国なのに退屈(boring)と思わせるからには、相当に退屈な国なのです。

「シンガポールを見習え」という論調は多いですが、
・国土は国のもの
・表現規制と思想規制
・国民皆兵
・徹底したエリート主義
だからこそ可能な部分がほとんど。
狭い国土を効率活用し、経済発展しなければ生き残れないというリスクが国民に共有されているからこそ、官僚主義も表現規制も許されている国。計画的な都市開発にすら「福祉にまわせ」と文句を言い、優秀な人を優遇すれば「差別だ」と言う日本では、かなりの制限条件を与えなければ真似できない方策なのですよ。移民を真剣に考えるほどに妄信的に好きな時期があった国なのですけどね。

それよりも、人の魅力、歴史の長さ、文化の奥深さ、日本のとてつもないソフトパワーを他国で懐かしく感じました。美男美女ばかりだし。

成熟したおもてなし文化海外受け入れチームと、若い機動力を生かしたステルス型の海外展開チーム2つに分けて投資すれば日本のよさを生かした成長分野のおいしいどこ取りできないかな。

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人の爪跡。

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シンガポール(星加坡)に行ってきました。SinTelがシンガポール通信庁という、日本のかつての郵政省のような政府組織だった頃にインフラ納入のお仕事で渡星してから約20年近く。1990年代当時のシンガポールは日本の70年代のように、開発と投資意欲旺盛。政府の強いリーダーシップのもと(現在もシンガポールはそういう国ですが)、先進国の仲間入りをし発展し続けることに意欲を燃やしていました。

とっても面白い国なので、既に20回以上渡星しているのですが、星国までの旅で、数年前から気になることがあります。




シンガポールへの旅は、いくつかの小さな島の上を通過します。手付かずの自然がとっても美しい島々で、空から眺めているのがなんとも幸せだったのです。豊かな森に多くの動植物が棲んでいて、島全体が大きく呼吸し酸素を生み出している様子に、いだかれるような気持ちでいたのです。

でも、数年前から、その幸せは不安な気持ちにとってかわることになりました。



上の写真、右下にあるような道。人の爪で引っかいたような道路が、多くの島で見られるようになったのです。森林は切り崩され、開発が行われていることがわかります。

熱帯特有の植物、椰子からとれるパーム油(ヤシ油)は、エコ活動が盛んになり急速に需要が増えたそうです。スーパーで売っているエコ洗剤の多くがパーム油を使用し、エコなイメージで販売しています。
また、化石エネルギー代替燃料として、とうもろこし同様にパーム油も燃料としてのニーズが増えたため、プランテーションの開発が進んだそうです。

シンガポールへの旅上空から見える島々が、大規模プランテーションの地にはなっていないとは思いたいです。
マレーシアのボルネオ島やスマトラ島での現実は悲惨で、ジャングルが伐採されプランテーションとなり、動物が絶滅に追いやられる様子を、アルピニストの野口健さんがブログでレポートされています。

ジャングルを伐採した植物由来燃料を使えば、確かにCO2排出は化石燃料よりは削減できるでしょうが、そのためにCO2を吸収し酸素を生み出す熱帯の大きな森を破壊するという矛盾。こんな馬鹿な問題を洗い出せないCO2排出削減目標やらカーボンオフセットなんて、欺瞞もいいところです。

天安門事件の思い出

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1989年6月4日に、中国・北京市の天安門広場でおきた事件。テレビでは、軍隊が出動し市民が情け容赦なく殺される様子が報道されていた。市民はデモ運動を行っていたようだった。

当時私は国内大手メーカーの新人で、世界数十カ国にインフラを納入する部署に配属されたばかり。同じ課には中国からの留学生Kくんが一人同僚として入社していた。
総務部門には同じく中国からの留学生、Rちゃんが配属されていた。とっても明るくてかわいくて、大人気だった。

そう、同期に中国人が2人もいるセクションだったのだ。
(ちなみに、対外折衝を行う部門にはクウェート人留学生も同期入社していた。)

当時の中国は当然市場解放前。ついでに言うと香港はまだ英国領。その香港から、設立したばかりの子会社勤務の6人が研修のため来日しており、新人の私も一緒になって研修を受けていた。

市場開放前時代に来日できるような中国人は非常に限定されており、地域で要職にある人や、事業を起した人(許認可制で厳しく制限されていたらしい)でお金持ちの人に限られていたそうだ。もちろん、今のような日本政府からの中国人留学生に対する手厚い制度はない。

当時の中国のイメージは、暗黒に包まれた社会主義国家だ。今も社会主義国家であることには変わりないけど、1989年6月当時はまだベルリンの壁も存在し(崩壊は1989年11月)、ソビエト連邦も存在し(ソ連崩壊は1991年11月)、東西冷戦下にあった。

中国の情報などどこにもない。飛行機も飛んでいない。
(ついでにいうと、インターネットもない。)

にぎやかな英国領香港人6人とわいわい過ごす中で、その事件は起きた。
明るくてかわいくて大人気なRちゃんは絶句していた。

誰も中国の事情などわからないので、みんながRちゃんに質問する。でも、彼女は泣いて中国語でわめいて悲しむだけだった。ものすごくショックを受けていた。KくんとRちゃんは中国語で色々激情しながら話すけど、その内容は教えてくれない。
誰かかかろうじて、日本語で話してもらえた内容によると、
殺されたのは学生とか罪のない人だということ、軍隊の民族が違うということ、軍隊も普段は抑圧されている民族だということ、抑圧がうまく利用されているようだということ。それは卑怯なやり方だということ。

市場が開放され、政治的には社会主義を保ったまま経済は資本主義に突入した中国。飛行機は増え、格安航空券で誰でも行き来できるようになったけど、
いまでも私にはあの事件が何だったのか、よくわからない。

香港は1997年に中国に返還されたけど、英国領香港人のにぎやかな6人のうち5人はカナダやオーストラリアに移住した。

Rちゃんはアメリカ人と結婚して中国人であることをやめた。

出た。電子書籍を阻む魔物「中間生産物」

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このブログ久々。はおいといて。
先日DTP boosterなる印刷業者の勉強会に行ってきました。もろIT系な私は場違い。
そして、なんだか常識が通用しない。同じことを向こうも言いたいだろうな。私の立場はあくまでも電子書籍を楽しむ側だからね。

とあるセッションで、「ePubとかPDFとかというフォーマットを生み出すような、中間フォーマットが必要だという議論がされている」という紹介があり、

いや~~~~~~~~な予感が

しましたですよ。ハイ。ここ、印刷業者の集まりですもんね。

やっぱりそうでしたよ。

実験る~む
印刷会社にあるのは「印刷用の中間生成物である最終データ」

池田信夫blog
役所は電子出版に介入するな

アナログ時代の印刷は、高度な技術とノウハウの蓄積で、その成果物「中間生成物」であるフィルムは会社としての生命線であることは理解できる。日本の印刷技術は世界一で、いろんな国の人に「紙も印刷もありえないほどキレイ」と言われ、日本人として本当に誇らしかった思い出があります。印刷物が海外旅行客に喜ばれる時代があったのです。それほどまでに日本の印刷技術は抜きん出ていた。
(なので、アメリカのMOOという名刺印刷サービスにwe love to printなんて日本人みたいなメッセージがあって、びっくりして思わず申し込んでしまったのです。)

印刷という特性上、いったんできたフィルムを使えば、複製が比較的容易であることから、ノウハウに対する知的財産としての保護を求めた動きも理解できます。技術の買い叩き防止には必要なことですから。

でも、それはアナログ時代のもの。

電子出版はアナログ時代とはまったく別なモノ、inovativeなモノなのだ。
ちょっとした(いや、かなりの)センスがあれば、Adobeとかのソフトを使って、誰でもかっこいい版下を作ることができる。版下という概念も不要かも。最終稿を作って出しができるんだから。

DTPの出現で組版工が不要になったように、紙の流通がデジタルメディアに変わることで、フィルム「中間生産物」も不要になるのだ。まあ、紙の流通が不要ってことは印刷会社そのものが不要ってことなのですが。

そこは、アナログフィルム時代に知的財産としての地位を獲得した「中間生産物」を電子出版にも持ち込んで、印刷業界として自らの延命を図る。まるでJALのOB/OGのような言いがかりだ。

ある印刷会社に勤めるDTPオペレーターにアルバイトでお仕事を頼んだことがある。
DMを作るというお仕事。当時私はイラレやフォトショを持っていなかったので、印刷会社に持ち込むai形式の版下が必要だった。その作成をお願いしたのです。

・写真撮影は私がしたものをTiff形式で提供
・ロゴも私が作成したものをpng形式で提供
・レイアウトも指定
・文章も指定
・フォントとサイズも指定

要するに思い描くイメージがあったので、出来上がりには満足(全部自作の素材だ)。
印刷所からあがってきたDMをスキャンし、ホームページに掲載したところ、

DTPオペレーターから「著作権違反」の通告が来た。
アホですか。素材の著作権が全て私にあってレイアウトも指定したのに、たかがオペレーターごときに何の著作権があると聞いたら「中間生産物の著作権」だと。
中間生産物を印刷した表面をスキャンしているので、DTPオペレーターが作った中間生産物の著作権侵害に当たるとの主張でした。

アナログの超高度なフィルム作成を依頼したのなら、私も中間生産物の著作権は認める。今回はただのaiファイル(イラストレータ)だ。素材の著作権もレイアウトも私が考えたものだからむしろ著作権は私にある。DTPオペレーターに依頼したのはあくまでもaiファイル作成作業であり、DTPオペレーターに認められるのはせいぜいaiファイルの所有権だ。

ちなみに、印刷会社は何の著作権侵害も言って来ていない。当たり前だ。
データ入稿しているので、おそらくデータを下に直接紙にインクを噴出して印刷しているはず。フィルムなんてものも存在しないのですよね。

DTPオペレーターに支払うギャラはあくまでも技術料としてである。その人は著作と認められるような高度なレイアウト技術や感情表現など一切行っていない。

「中間生産物」とは、旧式プラットホームの住人が新式プラットホームにしがみつくための詭弁なのだ。

それよりも、今DTPオペレーターとして働いている人は、電子出版に必要とされるセンスを磨いて、デジタル出版したい人に欠かせないビジュアルデザイナー&レイアウトデザイナー&アートディレクター&電子出版専用ソフトウェア(InDesignがそうなるのかなあ?)オペレーターとしての地位を、個人で獲得したほうがいいと思います。

せっかくの変革の機会なのだから、変な詭弁にすがるのはやめて。勇気あるtransformを歓迎したいです。

大印刷会社の策略と大出版社の困惑と官僚の思惑から抜け出して、
クリエイター魂炸裂したインディーズなデジタル出版に期待してます。

Amebloやってます