心はいつもAirPucci (空元気でもいいから)

毎日がPucciを着ているような気分

負ける予感がした1995年。

      2013/10/27


天安門事件やらバブル崩壊やらの年に、仕事に自立と国際性を求め、消去法でIT業界にエンジニアとして就職した私。

畑違い入社の私とは異なり、その年に設立されたシンガポール法人の現地採用社員は、ITの専門知識があり理論的で意欲的、穏やかな性格でやさしくユーモアもある。頭脳、知性、人物全てにおいて優秀でした。
当時のシンガポールは初等での英語教育推進時期で、英語教育で育った人は一部でした。シンガポール人社員は子供の頃から英語で育った、つまり、良い教育を親が授けた恵まれた人たちだったのです。
(でも、言語こそ民族性を表すというもの。自国言語を捨てて英語での教育に走る国に、誇りを捨てたような違和感を私は感じました。英語公用化は、小国がサービスで成長するための戦略の一つだったのです。)

1990年代初めに、私は念願かなってシンガポール長期出張となります。
「なぜそんなに優秀なのに日本の会社に就職したの?」と彼らに質問したところ、
「日本の会社は技術力が高く世界中で尊敬されている。給料もよく、安定していて首を切られる不安もないので、仕事に打ち込むことができる」との答え。1990年代初頭の大卒シンガポーリアンにとって、当時の在シンガポール日本法人は憧れの就職先だったのです。エンジニアも事務職で採用された人も、みんな満足そうに仕事をしていました。輝かしいJapan as No.1時代のお話です。

シンガポール法人は、政府に納入された製品のメンテナンス・開発のための子会社でした。日本から出張・出向する人は、彼らにスキルトランスファーを行います。日本人が培ってきた知識や技術を海外の人に教えるという構図です。1960-70年代を海外工場立ち上げとスキルトランスファーに従事した父と同様に、これから益々発展するIT分野で同様な仕事ができ、私はうれしく、先人の積み重ねを誇りに思ったのです。

この構図は数年で崩れ去りました。
1995年。ジュリアナ東京は閉店したけどヴェルファーレができて、バブル崩壊したというのにテレビ広告業界中心に余韻覚めやらずまだまだ踊り呆けている頃です。

当時、アメリカのテレコム市場開放に呼応した新しいプロジェクトが立ち上がりました。製品企画はごく一部の日本人メンバーで行っていました。そこに海外の子会社でまだ20代後半な彼らが、新製品のコア部分に大胆に提案してきたのです。提案内容は、開発環境としてJavaを採用し彼らがコアプログラムを開発するというものでした。

1.まだ実績のないJavaをいち早く基幹システムで採用すべきという点が斬新でした。(Javaの基幹システム採用は1998年ごろから一般化しはじめる)
2.子会社の外人社員が、頼まれてもいないのに親会社に逆提案してくる点も画期的でした。
3.それを受け入れ、彼らをコア部分の検討メンバーに迎え入れた日本の大企業もたいしたものだったと今では思います。

私が驚いたのは上記1,2,3いづれでもなく、
「なぜ彼らが新しい技術にいち早くリーチでき、信頼性が大切な基幹システムに実績もないうちに採用を提案できるほどの確信を持てたのか?」
という点です。

彼らが私に見せてくれたのはJavaに関する最新の研究論文です。彼らは大学のネットワークを通じ、最新のソフトウェア技術動向に常にアクセスしていたのでした。

今ではインターネットで最新の技術動向は簡単に検索できるし、論文も全て英語というのは当たり前なので、この話はピンと来ないかもしれません。

1990年代後半。ものづくり大国ニッポンのハードウェア偏重文化に加えて、最新ソフトウェア技術が英語圏で生み出されることの関心不足と、いみじくもJapan as No.1の自負があるために自前技術で全てまかなえるという発想が障壁になり、ソフトシステム分野で日本は遅れをとっていました。
アメリカにとっては1980年代の日米貿易摩擦後に導入した新しい政策の成果でしょう。ソフトシステムの最先端は米国となり、研究成果は英語で世界中に流通するようになりました。
シンガポール社員は米国留学経験はなかったのですが、英語教育で育ったため、障壁なく最新研究に接することができたのです。

このままでは、日本は素通りとなる。

せめて、英語情報に気軽にアクセスできるような環境だったら、日本人技術者もシンガポール人のようにリアルタイムで最新研究に接し、潮目の変化に気づけたかもしれません。ソフトウェア工学にパッションのないド素人な私は、シンガポール人の提案で現実を知り、時代に取り残されそうな日本を見て愕然としました。今まで見てきた夢はなんだったのだろうかと。

今の日本の若い人達は新しい技術提案やサービス制作ができるほど、ソフトウェア開発の実力がついています。ハードではなく、ソフト教育に力を入れる必要を感じた関係者の方々の危機感伴う尽力もあってのことだと思います。

日本は貯金を切り崩すがごとく、ものづくり技術を流出させていますが、他国はこの間、先端分野に投資を続けてきたのです。
未来への投資を止めてはいけない。
20年で日本が得た教訓ですが、次なる分野への選択的投資はまだ見えない。ならば、新しい世界を見据えた自己投資だけは忘れないようにしたいものです。

 - 空元気な日々 , , ,

Comment

  1. […] 立と国際性を望んでの職種選択でしたが、人材は既に国際競争時代に突入していることを天安門事件やらバブル崩壊やらの数年後に知ることになります。本エントリーはその前フリ。 […]

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