2012年1月28日
sweetでもフォルテに聞こえる時がある。sweetfという名前を思いついて15年経過していたようです。
そのころからの知り合いが先日亡くなりました。
この10日間ほどは毎日泣くばかりで、
イケメン一級建築士とかと別れたときはさっぱりだったのに、
人の死は大きなストレスなんだと身に染みて感じました。
体が痛いイタイ。切腹ってこれくらい苦しいのかな?と思うほどに痛かった。
追悼は別ブログに書きましたが、
少し落ち着いてきた今、
悔しくてなりません。
首なら私がいくらでも締めてあげたのにばかやろー勝手に死ぬな
お尻もたたいて説教してやる!
誰も彼の死に納得していないし、受け入れていないし、勝手だなと思ってる。
頭の中では、彼は死をもってして自らコンテクストになったのだなと理解しているのですが、
おかしいと思ったきっかけのtweetがあって、
彼の業界へのささやかな抵抗もあったのかもしれません。サインはでていた。
とてもキツイ業界。私なら何度飛び降りても足りないくらい。実際飛び降りる話はよく聞きます。
時を1月2日、いや12月28日に戻したいのですが、
ジョジョ承太郎の世界最強スタンド、スターワールドプラチナをもってしても、時は止めても戻すことはできない。死の前にすべての能力は無力です。
彼は「満足した」という遺書を残していたらしいのですが、
私ももう、いいかなと思い、
天井を見て首がつれないかとか、高いところから見下ろして飛び降りれないかと何度も思ってみましたが、そのたびに
「お前はまだまだブザマに生きろ、何もしてないだろ生意気な、まだまだだけけけけ」という冷たい天の声が聞こえるばかり。はあ。
彼の名を検索すると新しい情報は出ず、どんどん過去になっていく。亡くなったことが事実なんだと感じます。
本当に悔しい。悔しいので
この悔しさを何かに変えてやりましょう。
新年しょっぱな、ホントにキツイ。ばかやろー
2012年1月15日
「消える」というエントリーを書いてケリをつけたつもりですが、突然の悲しみに腑が引き裂かれるようです。
昨年末Oさん逮捕のニュースに、業界再編成の動きと業界全体の落ち込みを感じずにはいられませんでした。
私は2年の療養期間がありますが、プログラムコード漬けに苦しむ生活から抜け出すため、子供の頃からの夢だったプロ作家の道をこっそり目指しました。しかし、キツい仕事と修行の両立がたたり、当時一番難しいと言われていた坂本さんの番組オーディションでデモテープが通ったのと同時期に体調を崩しました。一方で各方面へのデモが通りやすくなりプロへの入り口が開かれました。その前から、同じくプロを目指す京大の男の子と知り合いになりました。ネットでです。ネットで人は知り合いになるものかとの、初めての体験でした。確か1996年頃。一般向けADSLサービス登場前で、テレホ接続していた覚えがあります。検索エンジンも無く、男の子の存在を知ったのはホームページのリンクを辿って、だったように記憶しています。もう15年も前になるんですね。
なぜ音楽を作るのかという基本的な問いから、セオリーは必要か?才能とは何かというクリエイター話、音楽論、技術論、人は何故生まれるのか生きるのかという問いまで、業界の話だけではなく創造に必要なあらゆる事を互いに問いかけました。膨大な量のメールをやり取りしたように思います。思い出せる限り今まで出会った中で一番頭の良い子で、彼と私は考え方が全く異なりましたが、批判も建設的でとても面白かった。
彼はデビューが決まり、私には事務所がつきました。彼が大学4年生時に事務所がインディーズで制作させたデビューアルバムは恐ろしいほどの出来映えで、吸収力が抜群に高い彼はあらゆるジャンルを短期間で自分のものにし作品にしました。器用さは魅力でしたが、何よりも先天的な声質と彼の作る歌詞に最大の魅力がありました。それはとても繊細で、死を意識したことがある人間のものでした。
その翌年、不定期的にあるという業界再編が起こり、彼の所属事務所は分裂、私の事務所は合併し別ものになりました。他にもデビュー中止になる同期の子もいて、決まっていたはずの話がほとんど流れてしまうような不運な年でした。私はデモが事務所により名義替えされた事を知り、業界から足を洗い療養に専念することにしました。目標を達成できなければ即辞めるのが自分との約束であり、その年に才能を金銭に換えるとの目標が達成できなかったためです。交渉すれば良いのに、「才能を極め好きな事で仕事をする」という甘い考えしかなく、ビジネスというものを全く理解せず、できない自分を発見しました。
彼は諦めず、でも不遇な道を歩むことになったのでしょう。
ビジネスができるようになろうと決意した私は、業界の事を考えるのをやめました。テレビも一切見ない。全ての機材とCDを処分しました。職場復帰し転職し、ビジネスができるようになる事を目標にキャリアチェンジしました。
2007年だったと思います。渋谷をお昼休みに歩いていたある日、街に流れた中島美嘉さんの歌にゾクっときました。このメロディーと歌詞はもしかして。調べてみるとやはり彼のものでした。よかった、ヒットが出て。これで売れると。私も頑張ろうと。
その彼が先日亡くなりました。twitterでこっそりフォローしていたのですが、年末年始やたら饒舌でおかしいなと、突込みを入れようかと思いましたが、私はきっぱり足を洗い随分経過しているので踏みとどまりました。最後のtweetの次の日、自殺したそうです。もう満足したとの遺書を残して。
仕事のキツさから抱えたトラウマが昨年消えたように感じましたが、15年という長い年月が経過したからでした。一人の男の子が目標を定め努力し実力をつけ評価を受け様々な環境変化に対応し成功するまでの長い年月だったのです。
若くして亡くなってしまった彼の死を多くの人が残念がるのは当然のことです。しかし、誤解を恐れずに言うと私には彼は十分に生き延びたように感じます。中学生か高校生の頃に死を考える、頭がよく多感で繊細な人間です。
大学3,4年の時期に人生の根源的な問いを共有してくだっさった彼。本当は同じように繊細ですがブザマに生き延びている私。ありがとう、そして、お疲れさまでした。どうか安らかにと願わずにはいられません。
2012年1月7日
当ブログairpucciで人気なのがMacBookAirに関するエントリ。ありがとうございます。購入からそろそろ1年。 (続きを読む…)
2012年1月2日
あけましておめでとうございます。
本年もよろしくお願い申し上げます。
昨年は、時間を作り今までできなかったことに取り組んだ年でした。今年は (続きを読む…)