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Twitterは @tomochin1

ちびっ子さんから「ともちん」と呼ばれます。

生まれてすぐに父がNYへ駐在、離れ離れとなる。
1歳で、父のカナダ・モントリオール転勤に伴い、母と一緒に移り住む。弟はモントリオール生まれ。
当時1$=360円。大卒初任給1万円、日本のGDPは現在のフィリピン程度の時代で、現在の貨幣価値に換算すると1$=7200円か?

父の勤務先は、現在は世界100カ国以上に現地工場をもつグローバル企業になっていますが、当時はベンチャーで、父の海外赴任が世界展開の魁でした。まだTOYOTAもSONYも海外展開など考えていない時代です。

日本の幼稚園に行くため、母と一緒に帰国。その後私が小学校を卒業するまで、父の海外工場立ち上げ行脚は続き、母子家庭状態。寂しかった。

今では珍しくない海外駐在ですが、当時は日本全国でも私を含めて数えるほどで、自分の置かれた状況への疑問が、子供の頃からの社会や経済に対する興味へとつながりました。
中学の頃、父が持ち帰る社内報を読むのが楽しみとなる。
現地工場展開は「生産は現地の人を雇い現地で商品を消費すべき」という、創業者の地域経済への貢献が社会貢献となるという信念であったことを理解する。

輸出が有利な時代のいち早い海外展開は、その後のオイルショック不況にびくともせず、世界市場の獲得により、今でも世界ナンバーワンブランドの地位を守っている。そう、ヴィトンもNASAも使っているあれです。

残念ながら見た目と違って虚弱。毎月発熱し幼稚園を休むことが多かったため、いじめにあう。
「小学校に入ったら勉強で見返す」と母親に宣言していたらしいが、成績は優秀でした。

幼稚園の頃、おばに時計の読み方を教えてもらい、一人で電車に乗って2駅先まで行って帰ってくること2回。3回目で駅員さんにばれ、無料でできる冒険が終了。今でも旅好き、というよりは、乗り物にのって移動するのが好きです。

中学1年のとき、拉致事件が世間をにぎわす。ある日、学校から帰ると家には刑事さんが2人。
拉致候補リストに載っているとのことで、登下校に警護がつきました。渡航経験のある女の子というspecにより拉致対象になったそうです。

高校は地元の進学校。7クラスのうち1クラス分が浪人生という構成。学区を越えての通学、しかも部活もやる。東大現役はトップ20番といわれ、いつも20番前後だったため、先生に部活やめろと何度も言われました。通学と部活と詰め込み学習に追われた高校時代。もう少し、物事を噛み砕いて理解する時間が欲しかった。

小学校のときから、地元の作曲家先生のところに通い、ピアノとエレクトーンを習う。待ち時間に少女向け小説を読むのが好きだった。譜面を読み出したのは5歳のとき。情感のようなものが図形として数理的に表現されているのが好きだったのでしょう。音楽系の部活で、中学では県大会優勝、高校では北陸大会優勝となる。

大学は女子大へ。就職に男女差がある時代、女子大のほうが有利と考えて。
専攻は生物学。バイオで日本が世界を席巻すると信じて。特に新エネルギーと医療分野で。
研究職の閉塞ぶりに未来が見出せず、父と同じく、民間企業で世界展開の道を志す。

FでGDP2%なインフラ開発に従事。開発したものが世界80カ国に売れる。主にHK、SG、USを担当。その後外資に転職。開発職からマーケティング職にスキルチェンジ。今ベンチャー2社目。翻訳本を翔泳社より1本リリース。

社会人しつつも、何も文化活動がなかった大学時代を反省し、少しづつ音楽制作を始める。
90年代後半にJ-waveで坂本龍一さんがやっていたオーディション番組で採用され、その後、Being系の事務所とCM作曲家の事務所でアシスタントしていた時代あり。でも、自分のできることをお金に換えるということがわかっておらず、ビジネススキルを磨く必要性を痛感。

人生に意味などない。意義のみ存在する。
どう活かされるのかいつも考え中。

本質的でありたいと思っています。

Amebloやってます