理念が大事。
(この投稿は別ブログameblo.jp/sweetfからの転載です)
今週あまり進展がない。考え事ばかり。
起業には理念が一番大事ってことで、いろいろ考えたのですけど、たどり着く先は一つ。
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- 2011年7月21日4:56 PM
- | category : 空元気な日々
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(この投稿は別ブログameblo.jp/sweetfからの転載です)
今週あまり進展がない。考え事ばかり。
起業には理念が一番大事ってことで、いろいろ考えたのですけど、たどり着く先は一つ。
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毎日の放射線量を気にしながら生きる日々は「未来に来てしまったんだな」と思ったものですが、そんな未来が途方もない過去のように思えるような未来に私は来てしまいました。
放射線量を気にしながら生きる日々が2011年とするなら、私が今いる未来は2050年。 (続きを読む…)
2019年の世界。あと7年。
登場人物に日本人がいない事にも注目してほしい。
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21世紀最初の10年がもうすぐ終わる。いつの時代も変化は激しいけれど、この10年は変化のスピードが速く、誰もが影響を受けたように思う。変化の要因が複数あって一度にやってきたため、因果関係がわからない問題だらけだ。原因と結果が対でなく、複雑に絡み合っているため、なぜよくない状況に自分が陥ってしまったのか理解できずあきらめや絶望を抱く人も多い。
個人的には、2001年12月:中国のWTO加盟による市場開放を大きな変化要因と考えている。
日本の製造業が中国に転移することは見込まれていたが縫製や白物家電のアセンブリ等の比較的単純な労働にとどまり、日本は引き続き世界のハイテク工場であり好調な輸出を維持すると考えられていた。高度な生産技術が日本の資産であり習熟した日本の工員こそが生産すべきと考えられていたためだ。しかし、デフレによる価格低下圧力と中国人労働者の習熟スピードの速さにより、半導体も液晶も出ていった。
ハイテク工場まで流出するのは予想外だったけど、中国人の提供する安価な労働力により、国内から生産労働が出て行くことは中国WTO加盟時に明白だった。識者でなくても、ちょっと考えればわかることなのに、多くの人は中国の市場開放を民主化とでも勘違いするかのごとく歓迎した。
職を失うであろう工場労働者のために新たな職をあてがう必要があった。しかし、バブル崩壊以来続く不況で雇用環境はよくない。当時労働力不足だったのはITだ。規制緩和が行われた介護や起業も新しい労働受け入れ産業と期待された。工場労働者の転職はスキルチェンジを伴うので、100%支給の教育給付金制度が各方面で実施された。
この10年で製造業従事者の減少分、サービス産業従事者が増えている。しかしスキルチェンジも労働転移の調整もそんなにスムースに行くはずがない。美しい技を持つ人が職を失い、また、期間工の問題を生んだのはこの時代の悲劇だと思う。

(2000年と2005年の産業別就業者数比較。国勢調査より。建設業と製造業の減少を福祉・サービスが補っている、)
個人的にはハイテク品の生産が日本人には一番向いていると思う。地方には各メーカーの工場があり、地元の人が勤めていた。工業高校卒以外の人も工員となるが技能の取得が早く、品質は世界一。1980年代からの日本経済成長に大きく貢献した人達。失われたことが私は悔しくてならない。今でも涙が出るほどだ。
変わってしまったものは仕方がない。この10年を冷静に振り返り、今後どのような産業構造をとるべきなのか考える必要がある。
これからも日本は新しい産業で成長すべしと私は望んでいたけど、中国が日本を抜きGDP2位になったニュースを聞いてつき物が落ちた。
・日本はもう成熟国になった。かつてのような大きな成長は望めない。それは他の西側先進国もおそらく同様だ。
・日本の成長を支えたものづくりは熟練した職人工にあったのは事実。それは手先が器用でまじめな日本人の特性であり、他の国に対する大きな差別化ポイントだと思っていたけど、そうではなかった。日本人だろうと何人だろうと、人はまじめに取り組めば技能を習熟していくものだ。フラット化してしまった世界の中でモノ作りで暮らすには、技以外のプラスαが必要なのだろう。
・GDP(≒国内でのモノの生産や消費)が伸びないからといって不幸なわけではない。むしろモノもインフラも既に充足していて幸せに感じる(少なくとも大きな不便は感じない)のは成熟国家ならでは。
・一方で、高度経済成長期の日本がそうであったように、中国やインドのようなGDP成長国を見ていると、彼らの消費は先進国として生きるための消費に見える。そう、マズローの要求レベル2のレイヤーにいる人達のようだ。洗濯機、冷蔵庫、エアコン、携帯、車、人よりも美しく着飾るモノを彼らは欲している。成熟国に住む私たちにはあえて緊急に買い換える必要がないモノばかり。
・モノが充足した成熟国家に住む私たちが欲しいと思うものは何だろう?成熟国の生活インフラは充足されている。私たちがマズローの要求レベル3以上にいるとするなら、今後私たちは何を欲っし、何を世界に提供するのだろう?今までの技術と経験の蓄積、反省点すら資産のはずだ。世界には解決すべき問題が沢山ある。野口さんのいた「きぼう」から地球を眺める気分で視点を高く持ち上げ、世界を俯瞰してみれば、新しい課題が見えてくる。
・インフラを必要とする国は沢山あり、私たちのインフラも改良していく必要がある。エネルギーシステム、交通システム、通信システム、水道システム。クリーンで環境負荷の低いもの、途上国は最高を最初から望むのだ。
・不満もない、不便もないならば、あえて制限を加えてみるのもinnovationを起す手段の一つだろう。「最良のデザインは極度の制約の中で生まれる」by ティム・ブラウン(IDEO)
・モノが不要な成熟国でiPadが売れたのは大きなヒントだ。iPadはPCの起動の遅さという不便を解消するというよりは、ワイヤレスでくつろいだ姿勢でも使えるスタイル、直感的なインターフェースでストレスがなく使い方を夢想できる楽しさを与えてくれた。Appleが提供したのはiPadという美しいモノおよびソフトが選べるiTunesStoreというサービスがセットになったexperienceだ。開発環境と課金プラットホームで開発者を取り込むエコシステムも作った。電子書籍に関する議論が日本中で巻き起こり、私の姪(中1)の学習スタイルを変えた。技術的にはタッチパネルを全面利用した程度で大きな発展はないのに、私たちのスタイルを変化させるinnovativeな製品だった。
・世界には問題が沢山あり、気づいていない何かを解決できるなら、成熟国でもニーズは作れる。洞察力が足りないのか?気づいて提案し実現し改良すればよい。なぜ踏み出せないのだろう?やはり日本に今足りないのはグローバル時代のリーダーシップだけのような気がする。
天安門事件やらバブル崩壊やらの年に、仕事に自立と国際性を求め、消去法でIT業界にエンジニアとして就職した私。
畑違い入社の私とは異なり、その年に設立されたシンガポール法人の現地採用社員は、ITの専門知識があり理論的で意欲的、穏やかな性格でやさしくユーモアもある。頭脳、知性、人物全てにおいて優秀でした。
当時のシンガポールは初等での英語教育推進時期で、英語教育で育った人は一部でした。シンガポール人社員は子供の頃から英語で育った、つまり、良い教育を親が授けた恵まれた人たちだったのです。
(でも、言語こそ民族性を表すというもの。自国言語を捨てて英語での教育に走る国に、誇りを捨てたような違和感を私は感じました。英語公用化は、小国がサービスで成長するための戦略の一つだったのです。)
1990年代初めに、私は念願かなってシンガポール長期出張となります。
「なぜそんなに優秀なのに日本の会社に就職したの?」と彼らに質問したところ、
「日本の会社は技術力が高く世界中で尊敬されている。給料もよく、安定していて首を切られる不安もないので、仕事に打ち込むことができる」との答え。1990年代初頭の大卒シンガポーリアンにとって、当時の在シンガポール日本法人は憧れの就職先だったのです。エンジニアも事務職で採用された人も、みんな満足そうに仕事をしていました。輝かしいJapan as No.1時代のお話です。
シンガポール法人は、政府に納入された製品のメンテナンス・開発のための子会社でした。日本から出張・出向する人は、彼らにスキルトランスファーを行います。日本人が培ってきた知識や技術を海外の人に教えるという構図です。1960-70年代を海外工場立ち上げとスキルトランスファーに従事した父と同様に、これから益々発展するIT分野で同様な仕事ができ、私はうれしく、先人の積み重ねを誇りに思ったのです。
この構図は数年で崩れ去りました。
1995年。ジュリアナ東京は閉店したけどヴェルファーレができて、バブル崩壊したというのにテレビ広告業界中心に余韻覚めやらずまだまだ踊り呆けている頃です。
当時、アメリカのテレコム市場開放に呼応した新しいプロジェクトが立ち上がりました。製品企画はごく一部の日本人メンバーで行っていました。そこに海外の子会社でまだ20代後半な彼らが、新製品のコア部分に大胆に提案してきたのです。提案内容は、開発環境としてJavaを採用し彼らがコアプログラムを開発するというものでした。
1.まだ実績のないJavaをいち早く基幹システムで採用すべきという点が斬新でした。(Javaの基幹システム採用は1998年ごろから一般化しはじめる)
2.子会社の外人社員が、頼まれてもいないのに親会社に逆提案してくる点も画期的でした。
3.それを受け入れ、彼らをコア部分の検討メンバーに迎え入れた日本の大企業もたいしたものだったと今では思います。
私が驚いたのは上記1,2,3いづれでもなく、
「なぜ彼らが新しい技術にいち早くリーチでき、信頼性が大切な基幹システムに実績もないうちに採用を提案できるほどの確信を持てたのか?」
という点です。
彼らが私に見せてくれたのはJavaに関する最新の研究論文です。彼らは大学のネットワークを通じ、最新のソフトウェア技術動向に常にアクセスしていたのでした。
今ではインターネットで最新の技術動向は簡単に検索できるし、論文も全て英語というのは当たり前なので、この話はピンと来ないかもしれません。
1990年代後半。ものづくり大国ニッポンのハードウェア偏重文化に加えて、最新ソフトウェア技術が英語圏で生み出されることの関心不足と、いみじくもJapan as No.1の自負があるために自前技術で全てまかなえるという発想が障壁になり、ソフトシステム分野で日本は遅れをとっていました。
アメリカにとっては1980年代の日米貿易摩擦後に導入した新しい政策の成果でしょう。ソフトシステムの最先端は米国となり、研究成果は英語で世界中に流通するようになりました。
シンガポール社員は米国留学経験はなかったのですが、英語教育で育ったため、障壁なく最新研究に接することができたのです。
このままでは、日本は素通りとなる。
せめて、英語情報に気軽にアクセスできるような環境だったら、日本人技術者もシンガポール人のようにリアルタイムで最新研究に接し、潮目の変化に気づけたかもしれません。ソフトウェア工学にパッションのないド素人な私は、シンガポール人の提案で現実を知り、時代に取り残されそうな日本を見て愕然としました。今まで見てきた夢はなんだったのだろうかと。
今の日本の若い人達は新しい技術提案やサービス制作ができるほど、ソフトウェア開発の実力がついています。ハードではなく、ソフト教育に力を入れる必要を感じた関係者の方々の危機感伴う尽力もあってのことだと思います。
日本は貯金を切り崩すがごとく、ものづくり技術を流出させていますが、他国はこの間、先端分野に投資を続けてきたのです。
未来への投資を止めてはいけない。
20年で日本が得た教訓ですが、次なる分野への選択的投資はまだ見えない。ならば、新しい世界を見据えた自己投資だけは忘れないようにしたいものです。
蒸し風呂で有名な京都の夏よりも暑く感じる今年の東京。本日も各地で38度超え。

この暑さの中、ユニクロは「ヒートテック」を発売したとか。2010年秋冬の販売目標は7000万枚。昨年の1.4倍だそうです。私も1昨年初めて購入し暖かさで手放せなくなり、昨年沢山購入しました。
ヒートテックは東レが開発した新素材を利用して初めて暖かさを提供できる機能性商品。ユニクロが東レとの強力なパートナーシップにおいて、付加価値の高い素材をいち早く独占したからこそ他アパレルメーカーの追随を許さない独走状態に入れたわけですね。
・R&D、素材開発、原料調達、素材・中間財生産などの技術的側面→東レが担当
・商品企画、商品製造、マーケティング、ブランディング、販売の企画流通面→ユニクロが担当
という、スピードとパッションが保てる『餅は餅屋』のパートナーシップ。
1社で全部門を持ってしまうと、技術屋は単なる技術バカに、マーケは周回遅れに陥りがちな日本企業にとって、お手本となる理想的な組み方。他の会社、特にリソースが限られている中小企業に真似して欲しい。
さて、ユニクロの商品生産拠点は中国ですが、東レによる素材量産もおそらく中国。研究と企画は日本。生産は中国。販売は全世界。衣料に限らず、家電も食品も、量産するものはこのパターンがほとんどでしょう。
日本企業による海外生産、海外販売。どうやらこの数字はGDPには反映されない。それでは日本の産業競争力が正しく反映されないなと思っていたところ、2010年の4-6月はとうとう日本が中国にGDP世界第2位の座譲るとのニュースが。そんなの当たり前だ。既に国内で生産し輸出する加工貿易モデルは終了し、日本企業が海外で生産し販売する時代なのですから。
GDPの低迷は産業空洞化にもありますが、消費文化が一段落し成熟を迎えていることも要因だろうなと思っていたところ、マネックスの松本大さんが別の視点。
世界のGDP分布は、産業革命までは人口の分布とほぼ同じでした。
何故なら一般にGDPの70%以上は個人消費だからです。
それが産業革命によって生産技術などが一部の国に占有され、GDP分布は大きく変わっていった訳です。それがインターネットの普及により、様相が全く変わりました。
産業革命によって偏在した生産技術が、そしてあらゆる情報が、また世界中に還元していった訳です。
そして世界のGDPはまた人口分布に近づいていこうとしている。これが私の理解です。新興国が成長しているのには、それらの国が何か特別なことをしているというよりも、このような当然の、現代の歴史的ステージの中で避けられない出来事として起きているのだ
国家がGDPにこだわるのは、国内生産=雇用という面よりは=税収という面からでしょう。
フラット化してしまった世界のなかで、緩衝作用がごとく、労働が高賃金国家から低賃金国家へ転移しているけど、いずれ緩衝作用がごとく、低賃金国家と高賃金国家の賃金差はなくなるでしょう。そのスパンは2-30年でしょうか?その間に産業誘致の国家間競争もおきるわけで、緩衝作用といえども動きはダイナミック。
本当にフラットになり、全世界賃金均一になったとしたら?
そのときは、地域での偏在こそが存在要因である、文化が差別化要因として注目されそう。
ユニクロ&東レのパターンでは、得意分野であるこだわりの技術力に加え、こだわりの高い日本の消費者がはぐくんだ商品企画・マーケティングで全世界の企業に対し差別化を行っています。
企画・マーケティングでも差別化しているっていう点も、一歩進んだ事例ですね。
世界に類を見ない高レベル消費者である日本人が好む、fine,neat,kawaii文化がもたらす製品やサービスが、どうすると世界に伝わり魅了できるのか、ユニクロのマーコムに注目していきたいです。
「なんて美しいんだ」震えるほど思ったもの。孫さんが情報通信の世界でビジネスをすることを決めたきっかけらしい。
1974年の春、「ポピュラーエレクトロニクス」誌に掲載されたインテルのコンピューターチップ、i8080 の拡大写真。七色に輝いてとても美しく、雑誌から切り取って毎日持ち歩いていたそう。
この頃ビルゲイツらもコンピューター時代の到来を確信して大学を中退し会社設立。
業をなす志があり、若くして留学し、コンピューター時代黎明期に居合わせ、「美しい」と感じる根源的な力でフォーカスが定まったこと。情報産業の幕開けという大きな時代の始まりに居合わせたことは孫さんのラッキーですが、1974年当時、コンピューターがどれほどのものになるか、ほとんどの人がわかっていなかったでしょう。孫さんもゲイツも、そしてジョブスも、直感で「これだ」と感じ取っているようなので、これも能力の一つなのでしょうね。
日本に戻って孫さんはソフトバンク社を設立しますが、Yahooの出資あたりまで、つまりインターネットサービスが隆盛してくる頃まで、正直何をやっている会社なのか私にはよくわかりませんでした。
本の中でも、情報産業にフォーカスしているものの、いろんなことに挑戦しながら事業を形作っている、走りながら考えている感じです。
この間、生死に関わるような大きな病気もなさっています。
コンピューター雑誌の販売とソフトウェアの流通が主な事業だった会社が、
Yahooへの出資、BB事業の開始、そしてヴォーダフォンの買収。
孫さんいれて社員3人の時代、みかん箱ならぬりんご箱の上で毎日
「売上げ高、5年で100億、10年で500億」
「いずれは売上高は豆腐のように、一丁(兆)、2丁(兆)と数えたい」
と演説したことが本当になっている。
ダークファイバー開放でガソリンは頭からかぶらなかったけど、総務省の役員にライターを借りたという話は本当のようだ。鬼気迫る。
当時私もADSLでインターネット通信がしたくてたまらなかったので、NTTの回線開放は本当にうれしかった。
孫さんて留学したばかりの語学学校で知り合った2歳年上の人を好きになってそのまま21歳のときに結婚しています。こっちも決断が早い。
「もっとも重要な3つのこと。1番目が志と理念。2番目がビジョン。3番目が戦略。」
物まね&改良と量産化が得意だけど新規性あるものは生み出していなかったJapan as No1時代。ビジョンどころか、戦略ももっていなかった。志と理念とかはどうなんだろう?
父に聞いても皆一生懸命で必死だったと言われるに違いない。
iPad発売もNTTからと憶測が飛んでいたのをソフトバンクからにひっくり返した孫さん。ジョブスのような海外の要人とダイレクトコンタクトができるのもフラット化した時代のリーダーに必要な能力。
力いっぱい生きていてうらやましいなあと思いました。
孫さんは1957年生まれ。大変貧乏な子供時代だったそうだが、貧乏を悪いことと考えず、両親と祖母が懸命に働いていた様子、また、貧乏を世の中のせいや景気のせいにしていない様子が本の中では伺えます。決して卑屈にならない。むしろ明るい。これは持って生まれた性格なのでしょうか?

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日本で在日韓国人3世として生まれた孫さん(結婚により日本国籍取得、その顛末も書かれています)。子供時代に出自を理由に虐められたこと、日本では頑張っても認められないだろうことを早々に理解し、しかし、バネにしている。きっかけの善し悪しはここではさておき、早くから自分の人生と活かし方について深く考えることになったのだと思います。1973年の高校1年生の夏、孫さんは久留米大学附設高校1年のときアメリカに語学研修にわたる。このときのアメリカの自由闊達な文化にふれ1974年2月高校1年の終わりにとうとう留学してしまう。
うらやましい。
留学の決断に迷いがまったくないのですが、それを理解しバックアップする家族、先生。自分の進路を決めるにあたり、故・藤田田氏に単身で面会を求め「私が若ければコンピューターに関連したビジネスをやると思う」というアドバイスを高校生のときにもらっている。真剣さゆえの行動力。
留学先の高校の授業のレベルが低いと感じ、飛び級を早速申し入れ。さらなる飛び級を申し入れ。あっという間に高校4年生(4年制高校のため)になってしまうが、それでも飽き足らず大学検定試験を受けて合格してしまう。1974年10月。この勉強の仕方といったらすさまじい。やや無謀とも思える目標、決めてしまったら達成する強い意志と集中力。これももって生まれた資質でしょうか。
1975年9月、日本でなら高校3年生の秋に孫さんはホリーネームズカレッジに入学。大学生になっても猛勉強はさらに続き、大学3年生のときにUCB経済学部に編入する。
この時点で、凡庸な人の一生分はゆうに超える努力をしているのではないか?と思えるほど凄まじい。
既に実業家を志していた孫さんは、ホリーネームズカレッジ在学中は食堂ビジネスを、UCB在学中は、ポータブル音声翻訳機を発明し、シャープとの契約までこぎつけている(その後、シャープが商品を発売したのは私も覚えている。そのプロトタイプ、特許が孫さんのものだったとは。)
何かを成し遂げる人には根源的な体験があると私は思っているのだけど、やはり孫さんにもそれがありました。
つづく。
孫さんの自伝「志高く」は、2004年に発行後、2008年に再発行されたもの。ソフトバンク社は2006年にボーダーフォン買収という大きな決断をしている。その経緯も再取材で書き加えられている。

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”「デジタル情報革命」前夜”とされた前書きが孫さんによって新しく書かれている。GWに読んだときは前書き飛ばしてしまったので実は今読んだけど、これだけでも興味深い。概要はこうだ。
『トランジスタ数集積率の向上速度を今から十数年前に計算してみたが、現在ほぼそのとおりになっている。
コンピューター中のワンチップ中トランジスタ数が人間の脳細胞数(300億個)を超えるのが2018年。そこからさらに増え、30年後には現在の100万倍になる計算だ。人間の脳細胞数をはるかに超える能力がワンチップに入る。携帯電話の中にスポッと入る。つまり「デジタル情報革命は」始まったばかり。今から100万倍になる。』
孫さんは1990年初めごろにこのような計算をし、果てしなく力を得る情報技術世界の未来を思い描いていたのだ。
私はその頃何をしていたかな。
香港やシンガポールにできた海外子会社の人たちと必死にシステム開発していました。日本のフロントに立って海外と渡り合う夢がかなって楽しい時期でした。同じ年齢の現地の人たちと一緒に仕事するのは本当に楽しかった。でも、初等教育から英語だった彼らに、自国言語を尊重しない民族意識の欠落のような違和感を感じると同時に、教育に力を入れている彼らとの横並びの日がいつかくるかもしれないという恐れを感じていた。
多くの日本人はバブルの余韻にまだ浮かれていた頃だと思う。
このまま楽しくいけると根拠なく思っていた人は沢山いたように感じる。けれども、未来への大きな夢を描いている人はどれだけいたのかわからない。
孫さんの1月のtweetを思い出した。

「光の道」対談にもでてきた日本全国光ファイバー自論も、弱いとされているソフトバンクモバイルのインフラ強化のためと見る向きもある。
けれども、2025年頃には2010年の100万倍のコンピューティングパワーの世界になると1990年代に予見していた人ならば、「そんなセコイ理由じゃない」と主張していた孫さんの気持ちが理解できる。
光の道対談にあった、真剣さは本当に未来を想い未来に向かう今に生きる人のことを考えた思いだったのだと。
「男は賢いばかりじゃダメなんです。 愚直なまでに掘り下げていかないと男は大きくなれん。」
大きく物事を捉え、遥か未来のあるべき姿を見、まい進する。力強いリーダーシップで。
なぜそのような人物になるのだろう。

ちなみに、私の答え。結構なさけない。。
孫さんの自伝を読みました。「志高く」電子書籍をiPhoneで。

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子供をグローバル時代に活躍する人に育てたいと思っている親御さん、そうなりたいと思っている若い人にはぜひ読んでいただきたいです。大学生は必読。現在の日本の状況が面白くないと思っている中高年にも読んでいただきたいです。
子育て世代のお母さんもぜひ。今までの常識のいくつかはくだらないものとなって吹きとびますよ。
電子書籍でGW中に旅しながら読了。あまりの内容のすごさ、すなわち、孫さんの生き様に圧倒され、レビューが今頃に。内容盛りだくさんなので何回かにわけて書きたいです。
そもそも、まだ生きている人の自伝を読んだのは何年ぶりでしょう?。確か中学生の頃。武満徹さんの自伝を読んで以来です。当時はご存命で、現在の初台オペラシティの構想が描かれていたことを強く覚えています。美しい音楽だけでなく、夢のあるものを残すため色々考えてくださっていることがうれしく思いました。初台オペラシティは日本の中で一番大好きなホールです。
存命中の人で、自伝といえるほど内容の濃い本はなかなか思い当たらない。(現在は故人ですが)武満徹さん、小澤征司さん。そして孫さん。共通するのは、今までの常識をものともせず世界に打ってでているところでしょう。
この本を読むまで、孫さんについて私が伝聞で知っていたことといえば
●社員3名時代にみかん箱の上に乗ってソフトバンクは「世界一の会社になる」と演説したという伝説
→伝聞で聞いた話なので、ついている尾ひれは「しょっている馬鹿だキ○ガイだ変人だ(常識はずれでやや侮蔑の意味を含む)」という類のもの。
●頭からガソリンをかぶり手にはライターを持って、ダークファイバー開放を郵政省(現在の総務省)へ直訴した
→これも伝聞で聞いた話なので、ついている尾ひれは「一人で役所を変えたキチ○イ変人」で、「利権の塊で梃子でも動かない役人(とそれにぶら下がっている半公務員数百万人)を変えるにはあそこまで頭がおかしくないとできない(凄すぎるという意味で尊敬の意味を含む)」というもの。
個人的な興味は、ソフトバンクという雑誌社が、どういう曲折で通信インフラ会社になったのかというところに興味はありました。正直、この2つの伝聞以外に孫さんについて知っていることは無かったし、あまり興味も無かった。
かなり凄かったです。孫さんが在日韓国人3世として生まれたというバックグランドを除いても、常識をはるかにしのぐ、方法、発想、行動力、エネルギー。間違いなく、”世界がフラット化してしまった新時代の” リーダーシップを持つ数少ない人ですし、それがどう育まれるのか教えてくれます。
常識は社会生活をスムースにしてくれる便利なプロトコルですが、ともすれば凡庸な人のための相互監視システムになってしまいます。
自分の子供時代の希望を思い出してみると、常識が味方してくれないことが多かった。それが時折悔しいと思う。
これからの人は新時代の生き様を探って欲しいし、これからの人を支える環境にいる人には旧時代の常識でこれからの人を阻害しないで欲しい。電子書籍ならすぐに読めるし、お手ごろ価格(350円)ででているので、一度読んでいただきたいです。